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本居宣長について

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ご存じのとおり、本居宣長は松阪が生んだ江戸期を代表する国学者です。著作「古事記伝」は宣長が三十五年かけて完成させた古事記の注釈書で、国学者の研究成果では最高峰とされています。
宣長は日本の歴史をふりかえり、日本人のアイデンティティを深く探求した人でした。「もののあはれ」という考え方は日本人固有の感性の発見として示唆に富むものであり、全くの独創です。それまで(江戸中期まで)漠然と習俗化していた土着信仰に正当な思想性を与えたのも宣長の大きな成果で、その影響は私たち現代人にも少なからず及んでいます。
八百万の神の前で常に謙虚であろうとする日本人の精神性にしっかりとした支柱を打ち立てた大思想人は、いま四五百の森に静かに祀られています。

 

享保15年(1730):五月七日、松阪に生まれる。書籍目録(経籍もうろく)は宣長が16歳の頃から書き始め、四千種余りが記載されている。
 

宝暦2年(1752):医学を学ぶため京都に遊学する。遊学中は医学の他に、堀景山の塾において、五経の素読、史記、左伝、漢学なども修学する。
 

宝暦8年(1758):京都遊学からの帰郷後、医業を興すとともに、歌論「拝慮小舟」を著し、「もののあはれ」という考え方を世に問う。
 

宝暦13年(1763):歌論「石上私淑言」、文学論「紫文要領」を著す。この年、古学の大家である賀茂真淵と初めて対面する。 世にいう「松阪の一夜」である。これにより古事記の研究が進められることとなり、後に「古事記伝」が完成する。
 

寛政元年(1789):自学の普及活動を精力的に行うようになり、講義するたびに門人も増やしていき、やがて世間に広く知れ渡るようになる。
 

寛政10年(1798):「古事記伝」を脱稿する。
 

享和元年(1801):九月二十九日、没す。

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